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最高裁判所第一小法廷 昭和46年(あ)1822号 判決 1973年3月15日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人渡辺眞次の上告趣意中憲法三八条一項違反の主張について。

道路交通法七二条一項後段のいわゆる事故報告義務の規定が憲法三八条一項に違反するものではないことは、当裁判所大法廷判例(昭和三七年五月二日判決・刑集一六巻五号四九五頁)の趣旨に徴して明らかである。

ところで、原判決は、「右報告義務は、個人の生命、身体および財産の保護、公安の維持等の職責を有する警察官をして、一応すみやかに」右条項後段「所定の各事項を知らしめ、負傷者の救護および交通秩序の回復等について当該車両等の運転者の講じた措置が適切妥当であるかどうか、さらに講ずべき措置はないか等をその責任において判断させ、もつて、前記職責上とるべき万全の措置を検討、実施させようとするにあると解されるので、たとえ当該車両等の運転者において負傷者を救護し、交通秩序もすでに回復され、道路上の危険も存在しないため、警察官においてそれ以上の措置をとる必要がないように思われる場合であつても、なおかつ、交通事故を起した当該車両等の運転者は、右各事項の報告義務を免れるものではない」と判示しているが、右判断その他所論の原判決の判断はいずれも正当であり、かつ、その判断が前示大法廷判例の趣旨にそわないものとは解されないから、論旨は理由がない。

その余の所論について。

所論は、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よつて、同法四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。(大隅健一郎 藤林益三 下田武三 岸盛一 岸上康夫)

弁護人渡辺真次の上告趣意

原判決は道路交通法七二条一項後段の報告義務違反を認めたが、これは憲法三八条一項の解釈を誤り、ひいては判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があるから、原判決は破棄されなければならない。

一、原判決の内容

(一) 原判決はその事実認定において「被告人は本件事故後直ちに右前田(本件被害者――弁護人註)を自車に乗せて千葉市宮崎二丁目一一番一五号所在の蘇我病院へ赴き、同病院で右前田の治療を頼んだ後、自己の氏名住所を告げずにそのまま同病院から立去つてしまつたこと、その間被告人は、右病院へ着いて右前田を廊下の椅子にすわらせて間もないころ、何人の通報によつて本件事故の発生を知つたか明らかではないが、本件事故を知つた千葉南警察署の警察官から電話を受け、右警察官と被告人間に所論指摘するような質問応答がなされ、被告人は兄の住所、氏名を自己の住所、氏名と偽つて述べたこと、右前田運転の原動機付自転車は、本件事故後警察官が本件現場へ到着した際、本件道路側溝内にあつた」という事実を認めた。

(二) ところで、右の事実認定のうえに立つて、原判決は道路交通法(以下道交法と略す)七二条一項後段の報告義務について「右報告義務は、個人の生命、身体および財産の保護、公安の維持等の職責を有する警察官に一応すみやかに前記法条所定の各事項を知らしめ、負傷者の救護、および交通秩序の回復等について当該車輛等の運転者の講じた措置が適当であるかどうか、さらに講ずべき措置はないか等をその責任において判断させ、もつて前記職責上とるべき万全の措置を検討、実施させようとするある」との立場から、「右報告義務は、警察官の質問の有無に関係なく、車輛等の運転者が所定の事項を報告すべき義務である」と説示したうえ、更に本件につき、

① 「被告人が前記のように右前田を救護し、同人運転の自転車が本件道路の側溝中に置かれ、本件道路の交通に何等支障をきたさなかつたとしても、被告人の右報告義務が消滅したものと解することはできない」こと。また、

② 「前記のように被告人に対し警察官から電話があつた際警察官から被告人が報告すべき事項の一部について質問がなかつたからといつて、これをもつてその点について警察官の権利の放棄があり、被告人の報告義務が免ぜられるものとなすが如き見解は、とうてい採用することができない」。

との理由で第一審判決を支持し、本件控訴を棄却した。

二、しかしながら、原判決が本件控訴を棄却するにあたり道交法第七二条一項後段の報告義務の範囲を前記判示の如く広く解し、しかもその広範囲の報告義務を定めた右法条が憲法第三八条一項に反しないものとするのであれば、原判決は憲法の解釈を誤つているものと言わなければならない。

(一) 憲法三八条一項と報告義務の関係

1 憲法三八条一項は自己に不利益な供述を禁止しており、他方、道交法七二条一項後段は、事故に関し運転者らに罰則をもつて報告義務を強制している。同義務はその報告すべき内容が少くとも犯罪発覚の端緒となり得る事実であり、又報告すべき相手が犯罪捜査にあたる警察官であることから、国民に黙秘権を保障した憲法三八条一項と深刻にかかわりあい、微妙な接点をなしている。かつて、最高裁判所は道路交通取締法施行令の憲法判断において、憲法三八条一項は「自己が刑事上の責任を問われる虞ある事項」に関するものであるが、報告義務の内容には「刑事責任を問われるおそれのある事故の原因その他の事項まで含まい」ことを強調して調和をはかろうとした(昭和三七・五・二大法廷判決、刑集一六―五―四九五)。しかし道交法の報告義務の内容たる事実は、犯罪発覚の端緒となり得る事実には相違なく、結局自ら刑事責任を追及されることになる事実を進んで捜査官憲に申告しなければならないという結果になる(例えば交通事故を発生せしめた者はこれを警察官に報告すればそのことによつて業務上過失致死傷等の刑事事件の捜査のきつかけを与えることになつたり、自らその証拠を提出することになる)。元来、かかる申告義務を一般的に国民各自に対して負わせることは、何人に対しても自己に不利益な供述を強制することを禁じた憲法三八条一項によつて到底許されないことは言うまでもない。にも拘らず、ひとり交通事故の場合の当該車輛等の運転者に前記報告義務を負わせるのは、道路交通における安全確保という他の人権との調和の目的に出た必要止むを得ない例外と解すべきである。したがつて、この規定が捜査のために利用されたり、道義的非難と混同されることのないよう、その立法目的たる合理的な行政的取締の必要性に即して、報告義務の内容は必要最少限度にとどめるべく、厳格かつ制限的に解釈されなければならない。

2 しかして、道交法七二条一項の報告義務が憲法三八条一項に対する公共の福祉による制限として、「負傷者の迅速な救護と交通秩序の早期回復」を目的とする合理的な例外規定であるとするには、同法条を全ての交通事故に画一的、形式的に適用すべきではなく、具体的なケースごとにその必要性、合理性を検討して憲法との調和点を見出すべきである。

(イ) したがつて、例えば人身事故発生の有無と負傷の程度、交通頻繁な幹線道路と人通りのない山道、警察官により交通整理の行われている場所とそうでない場所、昼間か夜間か等々の前提事実は必然的に右報告義務の有無、程度に影響を及ぼすことは明らかである。それゆえ、報告義務を認めた客観的必要性が現実に達せられた場合、あるいは一般社会通念よりみて達せられたと認められる場合は、報告義務は消滅したものと解するのが妥当である。したがつて、そのような場合、さらに報告義務を負わせることは、憲法三八条一項によつて例外的に許された範囲を逸脱し、許されないものと言わなければならない。

(ロ) また、法文の定める報告すべき事項である、日時、場所、死傷者及び負傷の程度、損壊した物及びその程度、並びに講じた措置等についても、常にその全てを完全に報告すべき必要性はないと考えられる。すなわち、被害者の救護を第一義とし、交通秩序の早期回復を第二義としていることからも、各報告すべき事項にも自ら軽重があり、事故という特殊な状況下にある者をして、常に全てを完全に報告すべきことを道交法はそもそも期待していないであろう(例えば重傷事故を生じた時、直ちに事故の報告をしたうえ病院へ運んだが被害者の救護に気を奪われていたため、たまたま被害車輛、加害車輛の物損の程度等の報告を忘れた場合には報告義務は果されたといつてよいのではなかろうか)。しかも、事故の態様については犯罪構成要件の客観的事実を報告せしめるものであるから、特に慎重かつ限定的な解釈がなされなくてはならない(なお前掲最判奥野判事の補足意見参照)。したがつて、警察官が事故を現認していたり、あるいは第三者や相手方運転手等の通報により警察官が事故内容をある程度了知していた時は、すでに得たそれらの事実と報告義務者からの報告とがあいまつて法文の定める各事項を知りえた場合は報告義務は充足されたものと解すべきである。

(二) 前記認定事実によれば本件では報告義務を認めた客観的必要性が達せられ、被告人に対し同義務を科するに由なきものである。

1 右報告義務は犯罪捜査の便宜のためではなく、「負傷者の迅速な救護と交通秩序の早期回復」を目的としているから、すでに負傷者が救護され、且つ、道路交通に何ら支障なく直ちに交通秩序が回復している本件においては報告義務を認めた客観的必要性はすでに達せられており同義務は消滅したものと解すべきである(日沖還暦・過失犯(2)・谷口・二四一頁、名古屋高裁金沢支部判昭和三九・七・二一、刑集一七―五―五〇九)。

2 なお同種の事犯につき報告義務違反を認めた下級審判決の理由の骨子は、警察官をして「当該車輛等の運転手等の講じた措置が適切であるか否か、さらに講ずべき措置を講じさせようとするものである」ということである(大阪高判昭和四四・三・六判例時報五六五―八九、および原判決引用の東高判昭和四五・一一・一一等)。しかし、この立場は捜査の便宜を重視するあまり、憲法の大原則と道交法の例外とを転倒せしめるもので、悖理という他ない。

3 したがつて、原判決は憲法三八条一項の解釈、適用を誤りひいては法令の適用を誤つたものであるから破棄されるべきである。

(三) 仮に右主張が認められないとしても、本件においては報告義務は尽されており、原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令違反がある。

1(イ) 原判決認定のとおり、被告人は事故後直ちに被害者前田を自車にのせ治療のため病院へつれていつており、救護の義務は誠実に履行されている。ところで、治療の依頼のため病院に来ていた被告人に対し、千葉南警察署の警察官から電話がなされ、被告人はこれに応答している。被告人はそれまでの間、救護義務の履行中であり、警察官に報告すべきいとまが全くなかつたものである。

(ロ) 病院にいた被告人に対して直接電話がなされたのは、右前田を連れて病院に赴いていた間に、第三者から一一〇番による通報を受けたことによる(原審での警察官佐藤らの証言)。通報者は事故の目撃者か事故直後現場を訪れた者であり、同人は通報の際に、事故の日時・場所・事故の態様について、説明報告をしているものである。けだし、通報者において「今交通事故があつたので知らせます。生実町の××付近です。軽四輪と単車とが衝突し、単車とその運転手は測溝に落ちて負傷しました。軽四輪の運転手は、すぐ蘇我病院へ自動車でつれて行きました」という程度の内容を連給するのは当然であるし、他方、虚偽の通報を防す止るため、通報を受けた警察官は右程度の内容を職務上容易に問いえるし、また問い質すべき義務があるからである(犯罪捜査規範六七条参照)。

2 したがつて、通報を受け、病院へ赴いて被告人に電話をした警察官は、少くとも、事故の日時・場所の他に負傷者の有無・講じた措置等については了知していたものである。それゆえに、被告人と直接通話をしながら、同人の住所氏名を尋ねたのみで、その以上他の事項を問わなかつたのである。(仮に他に不明な点があれば、極めて容易に確めえた筈であり、またパトカーは現場に直行してから病院へ行つたのだから、まず現場措置のため事前に現場の状況について通報者または被告人からきいておく必要があるのはいうまでもなく、それを質問しなかつたのは事故の態様についても了知していたからに他ならない)。

2 してみると、前記憲法三八条一項との調和よりみて、被告人が、事故の態様について具体的に質問を受けず、したがつて、それについてはのべなかつたとしても、被告人が千葉南署の警察官と通話を了した時点において、第三者から通報内容とあいまつて報告義務は果され、消滅したものと解すべきである。

仮にしからずとすれば、きわめて人情に反する結果を生来する。すなわち、被告人が自ら報告しようと考えていたとしても、事故直後で一段と警察官に対して畏怖の念を深め、いいたくても言えないその心情と、事件に関する専門家であり、かつ、強大な捜査権力を有する捜査官としての警察官を対比するとき、警察官からきかれることのみ答えれば十分だと誰れしも思うところである。しかるに、右通話後更にもう一度事故に関して報告をせよというのは、人情に悖り不可能を強いるに等しいことである。

3 更に翻つてみるに、道交法の定める報告義務の目的は発生した交通事故とこの事故による被害者の救済及び以後の交通秩序の早期回復を図るため、速やかに爾後主体的にその任にあたる「警察官との連結」を、事情に詳しい運転者らをしてなさしめようとするにある。本件では千葉南署の警察官と被告人間に電話による質問応答がなされ、その目的は既に達せられていると考えられるから、この時点以後は、同法の目的に添うよう指示行動すべき権利義務をもつた謂わば「主役」は警察官なのであつて、事故を発生せしめた者はその警察官の指示に従つて報告行動するに過ぎない従たる地位にあるものである。したがつて、その後の行動は、事故を一応自らの手に把握した警察官の設定した一連の行政的取締行動に付随する範囲において協力すれば足り、これは報告義務とは別個の問題なのである。したがつて、被告人が刑事訴追をおそれて警察官の指示に従わずに病院を退去つた点については犯罪捜査への協力義務違反あるいは道交法七二条二項違反を問題にするならともかく、前記報告義務違反を問うのであれば、道交法の目的を逸腹して報告義務の範囲を不当に拡大して解釈するもので許されない。

4 前記のとおり、報告義務は憲法に対する重大な例外であり、同義務については特に厳密な解釈が必要である。ところで、捜査機関として一体化している警察本部および所轄警察署に事故の通報があり、それを受けて担当警察官が加害者たる被告人に直接電話をし、事故の報告をさせ、又はその報告を得る機会を経由した場合においては、いかなる事実についての告知を怠つたかを明らかにすべきであり、その事実の主張立証がない以上道交法の規定する各事項につき報告がなされたものと推定すべきものである。それゆえ、生来的訴追権者である検察官において、報告すきべ事項のうちいかなるものが欠除していたかを道交法の目的に結びつけて逐一立証すべきであり、少くとも、裁判所はその点につき釈明すべき訴訟法上の義務があると考える。したがつて被告人との通話を認定しながら、この点を看過した原判決には重大な審理不尽の違法がある。

5 したがつて、右のような事情を顧慮せずに、原判決が報告義務違反を認定したのは、捜査官の責任を被告人に転稼し、労を惜しんで手取り早く本人の口から犯罪事実を語らせようという意図に基くもので憲法三八条一項に違反し、明らかに道交法七二条一項後段の解釈を誤つたため有罪を認定したものであるから破棄を免れない。

以上

<参考> 第一審判決(抄)

主文

被告人を懲役八月に処する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

起訴状記載の公訴事実と同一であるから、これを引用する。

(証拠)略

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人については公訴事実第一の報告義務違反の罪は成立しないと主張する。しかし、被告人が被害者を病院に運んだ直後その場を立ち去つた際、たとい事故現場の交通秩序はおおむね回復されていたとしても、その段階で警察官は本件交通事故の具体的態様(犯行のそれではない)を知り事故をいわば管理する利益を失つていないものと認められ、このような場合報告義務を免れるものでないことは検察官指摘の判決例(東京高裁昭和四五年(う)第一七六六号同年一一月一一日判決)のいうとおりと考えられる。弁護人の主張は採用できない。

(法令の適用)略

<付> 起訴状記載の公訴事実

被告人は

第一、自動車運転業務に従事しているものであるが、昭和四五年五月二五日午後九時三〇分ころ軽自動四輪車を運転し、千葉市生実町一、八二七番地先道路を同市椎名崎町方面から生実町方面に向かい時速約四〇キロメートルで進行中約一五メートル前方道路左側の道路のくぼんだ部分を避けるため、道路の中央から右側部分に寄ろうとした際約19.7メートル前方道路右側を対向して来る前田昌作(当四一年)運転の原動機付自転車を認めたから、ただちに徐行するか停止し対向車の通過を待ち進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、漫然前記速度で道路右側を進行した過失により対向車に接近して急制動したが及ばず自車右前部を前記前田昌作運転車両に衝突させ、よつてその衝撃により同人に加療約四か月間を要する左下腿挫滅創、両大腿擦過傷、右膝関節内障、右手第二、三指擦過傷の傷害を負わせた、

第二、前記日時、場所において前記交通事故により前田昌作に前記傷害を負わせたのに、右事故の発生日時、場所等法令の定める事項をただちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつた。

第三、公安委員会の運転免許を受けないで前記第一記載日時、場所において軽自動四輪車を運転したものである。

第二審判決(抄)

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人渡辺真次作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用し、これに対して、当裁判所は、つぎのとおり判断する。

一、控訴趣意第一点(事実誤認および法令適用の誤りの主張)について

所論は、原判決には事実の誤認が存し、ひいて法令の適用の誤りがあるというのである。すなわち、被告人は、本件事故(原判示第一の事実実)発生後直ちに被害者前田昌作を自車に同乗させ、治療のため近くの蘇我病院へ赴き、救護義務を誠実に履行し、他方右前田運転の原動機付自転車は、本件事故現場において周囲の人によつて道路端にかたずけられ、交通秩序は、速かに原状に回復されたから、道路交通法第七二条第一項後段所定の報告義務を認めた客観的必要性は、すでに達せられており、同義務は、消滅したものである。仮に右主張が認められないとしても、被告人は、前記のように右前田を右蘇我病院へ運び、同病院受付カウンター付近にいた際、千葉南警察署から電話がかかり、同署警察官から「生実で事故を起したのは君か」と質問されたのち、住所、氏名を聞かれ、出まかせに虚偽の住所、氏名を述べたところ「そこに待つているように」といわれた。すなわち右警察官は、すでに本件事故の発生、その態様等を了知し、加害者である被告人が電話の相手方であることを知つて右のように被告人と問答をかわしているのであるから、被告人が更につけ加えて報告すべき何物もなく、したがつてこの時点において右報告義務は、消滅したものである。仮に右報告義務の内容について一部の欠缺があつたとしても、その場合は本来通話時において当然警察官において質問すべきものであり、それを怠つたのであれば、いわば権利を放棄したものとして被告人は、右欠缺部分の報告義務を免れるものと解すべきである。また被告人の報告した住所、氏名が虚偽であつたため捜査に支障をきたしたとしても、右報告義務は、犯罪捜査のために認められたものではないから、かかる不都合が生じたとしてもやむを得ないものである。もし右報告義務に犯罪捜査のための義務も入るとするならば、右報告義務を認めた道路交通法の規定は、憲法第三八条第一項に違反することとなる、というのである。

よつて、所論にかんがみ、本件訴訟記録および原審において取調べた証拠に現われている事実を精査し且つこれに当審における事実取調の結果を綜合して考察すると、被告人は、本件事故後直ちに右前田を自車に乗せて千葉市宮崎二丁目一一番一五号所在の蘇我病院へ赴き、同病院で右前田の治療をたのんだ後、自己の氏名、住所を告げずにそのまま同病院から立去つてしまつたこと、その同被告人は、右病院へ着いて右前田を廊下の椅子にすわらせて間もないころ、何人の通報によつて本件事故の発生を知つたか明らかではないが、本件事故を知つた千葉南警察署の警察官から電話を受け、右警察官と被告人間に所論指摘のような質問応答がなされ、被告人は、兄の住所、氏名を自己の住所、氏名と偽つて述べたこと、右前田運転の原動機付自転車は、本件事故後警察官が本件現場へ到着した際、本件道路側溝内にあつたことが認められるが、右電話をした警察官が本件事故の態様まで了知していたことはこれを認むべき十分な証拠がない。ところで右報告義務は、個人の生命、身体および財産の保護、公安の維持等の職責を有する警察官に一応すみやかに前記法条所定の各事項を知らしめ、負傷者の救護および交通秩序の回復等について当該車両等の運転者の講じた措置が適切妥当であるかどうか、さらに講ずべき措置はないか等をその責任において判断させ、もつて前記職責上とるべき万全の措置を検討、実施させようとするにあると解されるので、たとえ当該車両の運転者において負傷者を救護し、交通秩序もすでに回復され、道路上に危険も存在しないため、警察官においてそれ以上の措置をとる必要がないように思われる場合であつても、なおかつ、交通事故を起した当該車両等の運転者は右各事項の報告義務を免かれるものではないと解するのが相当である(東京高等裁判所昭和四五年(う)第一、七六六号同年一一月一一日判決参照)から、本件において被告人が前記のように右前田を救護し、同人運転の自転車が本件道路の側溝中に置かれ、本件道路の交通に何等支障をきたさなかつたとしても、被告人の右報告義務が消滅したものと解することはできない。また被告人が右前田を連れて右病院へ赴いた際被告人に対し警察官から電話がかかり、同警察官と被告人間に前記のような質問応答がなされたが、右報告義務を認めた前記法条の法意に照すと、かかる応答の限度ではいまだ報告義務を尽したとはいえず、さらにまた右報告義務は、警察官の質問の有無に関係なく、車両等の運転者が所定の事項を報告すべき義務であるから、前記のように被告人に対し警察官から電話があつた際警察官から被告人が報告すべき事項の一部について質問がなかつたからといつて、これをもつてその点について警察官の権利の放棄があり、被告人の報告義務が免ぜられるものとなすが如き見解は、とうてい採用することができない。したがつて原判決には事実誤認の疑いは存せず、ひいて法令適用の誤りもないから、この点についての論旨は、理由がない。

二、控訴趣意第二点(量刑不当の主張)について<略>

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